疑わしい取引の届出事例と宅建業者が知るべき判断基準

疑わしい取引の届出事例と宅建業者が押さえるべき判断基準

契約が解約になっても、届出義務は消えません。

📋 この記事の3つのポイント
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届出件数は年間10件程度しかない

宅建業界の疑わしい取引の届出件数は極めて少なく、国土交通省の立入調査では約1,000業者のうち半数近くに届出漏れ等の指導が入った実態がある。

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参考事例は全21項目に分類されている

国土交通省が公表する参考事例は「現金の使用形態」「真の契約者の隠匿」「取引の不自然さ」「契約締結後の事情」など5つのカテゴリに整理されている。

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契約未成立・解約後も届出の対象になる

売買契約が成立した案件だけでなく、申込撤回や契約解約後の取引も届出対象となる。この点を見落とすと義務違反となるリスクがある。

疑わしい取引の届出とは何か:宅建業者が負う犯収法上の義務

「疑わしい取引の届出」は、犯罪による収益の移転防止に関する法律(以下「犯収法」)第8条第1項に基づく、特定事業者への義務規定です。宅地建物取引業者は、同法における「特定事業者」のひとつとして位置づけられており、売買取引の仲介・代理・直接取引のすべてにおいて、この届出義務が課されています。

なお、賃貸借や交換の媒介は対象外です。売買に関わる業務のみが義務対象となります。

マネー・ローンダリング(資金洗浄)とは、詐欺・売春・薬物犯罪などで得た違法収益を正規の取引に紛れ込ませ、資金の出所を分からなくする手口のことです。不動産は高額な資金が一度に動くため、この手口の「受け皿」として犯罪組織に悪用されやすい性質を持ちます。国家公安委員会の犯罪収益移転危険度調査書(令和7年11月版)でも、不動産取引は危険度が高いと評価されています。

届出が義務となるのは、「特定の犯罪が確実に行われたと断定できる場合」ではありません。業界の一般的な知識と経験を踏まえて、取引形態を見たときに「何らかの犯罪収益である疑いを持つ程度」であれば届出義務が発生します。つまり、疑い始めた段階で行動することが原則です。

届出先は、大臣免許業者であれば国土交通省(地方整備局等)、都道府県知事免許業者であれば各都道府県の宅建業主管部局を通じて行政庁に届け出る形となります。

国土交通省「不動産の売買における疑わしい取引の参考事例(宅地建物取引業者)」(国土交通省公表PDF)

宅建業者が届出を検討すべき取引類型21項目を直接確認できる公式一次資料です。

疑わしい取引の届出事例:国土交通省が示す21の参考事例を整理

国土交通省は、宅建業者が届出判断に使える「参考事例」を全21項目・5カテゴリで公表しています。これらはあくまで参考であり、事例に形式的に合致していても合理的な理由があれば届出不要の場合もある一方、事例に該当しない取引でも業者が疑わしいと判断すれば届出の対象です。柔軟な判断が求められます。

カテゴリ 主な事例のポイント
第1 現金の使用形態 収入・資産に不釣り合いな高額物件を多額現金で購入/短期間に複数物件を現金で支払い総額多額
第2 真の契約者の隠匿 架空名義・借名での締結の疑い/書類への署名拒否/書類ごとに異なる名前の使用/法人の実体なし疑い/住所と異なる送付先希望
第3 取引の特異性・不自然さ 同一人が短期間に多数売買/購入直後に短期転売/市場価格を大きく下回る売却を厭わない/物件状態に無関心で複数購入/取引する合理的理由が見出せない
第4 契約締結後の事情 合理的理由なく決済期日の延期申し入れ/契約後に突然高額物件への変依頼
第5 その他の事情 公務員・会社員が収入に見合わない高額取引/真の受益者確認を拒む/秘密を不自然に強調/届出しないよう依頼・強要・買収/暴力団関係者/不自然な態様・態度/外部機関から照会・通報あり

現場で特に見落とされやすいのが「第3カテゴリ」の取引の不自然さです。例えば、複数の物件を短期間に購入しようとする顧客が、物件の状態や修繕費用にまったく関心を示さないケースは、一見「決断力のある投資家」に映るかもしれません。しかし実際は、資金出所を隠すための連続取引である可能性があります。

また「第5カテゴリ」の事例18番は特に注意が必要です。顧客が「届出しないでほしい」と依頼・強要・買収してきた場合、それ自体が届出の強力な根拠になります。これは届出しないダメです。

三井住友トラスト不動産「不動産売買に関して留意すべきこと~疑わしい取引の届出」(弁護士解説コラム)

21項目の参考事例を法的文脈から丁寧に解説しており、実務判断の補助資料として有用です。

疑わしい取引の届出事例で注意すべき「落とし穴」:解約・申込撤回も対象になる

多くの宅建業者が見落としやすい重要なポイントがあります。「売買契約が成立しなければ届出不要」という思い込みです。これは誤りです。

国土交通省のガイドライン(令和4年10月31日付)では、次のように明記されています。

「疑わしい取引の届出は、売買契約が成立したものだけが対象となるものではなく、例えば、顧客とのやり取りの中で売買の申し込みが撤回された場合や契約締結後解約となった場合でも対象となる。」

つまり、商談の途中でキャンセルになったケース、あるいは一度締結した契約が解約になったケースでも、取引の過程で疑いが生じていれば届出が必要になります。

令和4年度に国土交通省が実施した立入調査の結果(令和6年3月7日付事務連絡)では、約1,000業者を対象にした調査の結果、「半数近くの宅建業者に対して指導を行った」ことが明らかになっています。届出漏れや本人確認の不備が主な原因でした。この数字は業界全体の深刻な課題を示しています。

さらに、令和7年11月版の犯罪収益移転危険度調査書によれば、宅地建物取引業者からの届出件数は令和4年に11件、令和5年に18件、令和6年に25件という水準です。全特定事業者の届出が令和6年中に80万件を超える中、宅建業界全体での25件という数字がいかに少ないか分かります。この差は、業界内での制度理解や対応態勢に大きな差があることを示しています。

届出漏れが発覚した場合、行政からの指導・処分リスクが生じます。立入調査で指導を受けると業務改善命令の対象となる可能性もあるため、日頃からチェックリストを用いた確認体制の整備が重要です。

不動産流通推進センター「犯罪収益移転防止のためのハンドブック第5版 第2分冊(疑わしい取引の届出編)」

届出の判断手順、チェックリストの活用方法、実際の届出事例までを包括的に解説した業界団体の実務資料です。

疑わしい取引の届出事例における判断方法:チェックリストの活用と統括管理者の役割

疑わしい取引かどうかの判断は、担当者一人の感覚に頼ってはいけません。犯収法施行規則第26条・第27条は、判断の方法を3段階で規定しています。

まず「一見取引(初めての顧客)」の場合は、他の顧客との取引との比較・当該顧客との過去取引との比較・取引時確認の結果との整合性、この3点を確認する方法が基本です。

次に「既存顧客との取引」の場合は、上記に加えて確認記録・取引記録を精査する必要があります。

そして「リスクの高い取引(ハイリスク取引等)」の場合は、さらに顧客への追加質問などの調査を行い、統括管理者またはそれに相当する者が最終判断を行う必要があります。このプロセスが義務です。

統括管理者とは、組織全体のマネロン対策を管理する担当者のことで、一般的には支店長・部長クラスが担います。ハイリスク取引の判断を現場担当者だけで完結させてしまうのは規則違反となるため、社内フローの整備が不可欠です。

実務での活用に特に有効なのが、不動産業における犯罪収益移転防止等に関する連絡協議会が公表している「チェックリスト」です。21項目の参考事例に対応した形式で、取引ごとに「はい/いいえ」で確認でき、1項目でも「はい」があれば届出を検討するフローが明示されています。このチェックリストは一件書類として保管することも推奨されています。

公益財団法人不動産流通推進センターのウェブサイトからダウンロードでき、各社の実情に合わせて加工・修正することも可能です。社内で標準化することで、経験の少ない担当者でも一定の判断が行えるようになります。

疑わしい取引の届出事例から見る実際の届出手順:e-Gov電子申請の活用

実際に疑わしい取引を発見した場合、どのように届け出るのかを把握しておくことも実務上の必須知識です。届出方法は主に2種類あります。

1つ目は、警察庁(JAFIC)が提供する「事業者プログラム」を使って届出データを作成し、e-Gov電子申請で届け出る方法です。2つ目は、同プログラムで作成したデータをCD等の電磁的記録媒体に保存し、管轄行政庁へ提出する方法です。電子申請が推奨されており、現在は多くの事業者がこちらを利用しています。

事業者プログラムを使うには、事前にJAFICへ「事業者ID発行申請」を行う必要があります。手順は次の通りです。

  • JAFICホームページから事業者ID発行申請書をダウンロードし、必要事項を記入して郵送する
  • 発行された事業者IDとパスワードを用いて事業者プログラムにログインし、届出票を作成する
  • 届出票には「ガイドライン番号」(参考事例1〜21に対応する番号)を記入する
  • 完成したデータをe-Gov電子申請でアップロードする

初めて届出を行う場合、事業者IDの発行から届出完了まで数日かかることがあります。いざという場面で慌てないよう、事前にIDを取得しておくことが望ましいです。これは準備が条件です。

届出の内容(どの顧客について届出したか)は、顧客に対して告知してはいけません。顧客への告知は法律上禁止されており、万一告知すれば捜査妨害につながるリスクもあります。この点は特に厳守が必要です。

警察庁JAFIC「疑わしい取引の届出と届出先行政庁」(警察庁公式ページ)

電子申請の方法、事業者プログラムの入手先、届出先の一覧が掲載されている公式案内ページです。

疑わしい取引の届出事例を踏まえた社内体制の整備:宅建業者が独自に取り組むべきポイント

届出義務を確実に履行するためには、個人の判断力に依存した対応では限界があります。組織としての体制整備が根本的な解決策となります。

まず、リスク評価書の作成が重要です。自社が扱う取引の類型・顧客属性・取引エリアなどを踏まえ、自社固有のマネロンリスクがどこにあるかを文書化する作業です。国土交通省は宅建業者に対してリスク評価書の作成を推奨しており、令和6年3月の事務連絡でも改めて徹底が要請されています。取引ごとにリスクが違います。

次に、反社データベースの活用が有効です。不動産業反社データベース(国土交通省推奨)を用いて、売買申込者が反社会的勢力に該当する可能性がないかを事前にスクリーニングすることで、届出の判断根拠が明確になります。このデータベースで「該当可能性あり」と出た取引は、積極的な届出が国土交通省から直接求められています。

さらに、社内の情報共有体制の構築も欠かせません。営業部門が気づいた疑わしい兆候を管理部門・監査部門と速やかに共有し、組織として届出要否を判断するフローが理想的です。現場担当者だけが情報を抱え込む状態は、届出漏れの温床になります。統括管理者への報告ルートを整備しておくことが大切です。

なお、取引記録・確認記録の保存期間は7年間(犯収法)です。宅建業法第49条が定める帳簿の保存期間(5年間)とは異なるため、保存期間の管理を間違えないよう注意が必要です。

不動産流通推進センター「不動産業における犯罪収益移転防止(マネロン)対策」(業界団体支援ページ)

ハンドブック各分冊・チェックリスト・参考様式のダウンロードリンクがまとめられており、社内体制整備の出発点として活用できます。